2012年07月15日

手の中で…

お盆のお墓参りに行けなかった。
といっても、毎年行っている訳ではない。

ひとりでじっと考え込んで、心の中で手を合わせるくらい

今年は、川が氾濫して
お盆どころではなかったというのが
正直なところかもしれない。

幼い頃からの思い出の詰まった場所の川が
思いもよらぬカタチで牙を剥き
右岸一帯を呑み込んだ。

親戚の家も友人の家も呑み込まれた。
先祖を迎えるどころではない状況で
今日もたくさんの人が 何かできることはないかと
被害にあった各家を訪れていたそうだ。

「そうだ」というのは
実際私がそこに赴くことができなかったからだ。

福岡も佐賀も大分も被害がすごかったようだ。
大好きな柳川も、水郷の町だから
きっと被害はすごかっただろう…

それでも、これだけの大きな災害で
命を落とされた方が全くいない訳ではないけれど
それでも なんとか命が残った方が多かったのは
お盆でご先祖様が傍にいてくださったからなのかもしれない。

なにもかもなくなって 命だけ残ったところで…
私はそう思うかもしれないけれど、
きっと 私の友人はそんなことはないだろう。

前に進む力ってどこから湧いてくるのだろう…
そう思っているうちは、きっとわからないんだろうな…
そうやって考えてみたら 自分はとても弱い人間だ。
何かから逃げている訳ではないけれど
思いっきり立ち向かっている訳でもない。

隣の芝は蒼く見えるとは言うけど
それはきっと違う。
ホントに蒼いんだと思う。
そんで、そういう努力を日頃から行っているのだと思う。

棚から牡丹餅という言葉があるけれど
ホントに棚ぼたなんてことはない。
棚ぼたにあやかっている人は
日頃から、いつも自分の上にぼたもちが落ちてくるような
入念な手回しや気遣いをしているものだ。
それでいて、棚ぼただねって人にいわれると
ホントに棚ぼただったよって言って、ひけらかすことなどしない。

世の中なんてそんなもんだと思う。

そう思いながら、
お線香に火をつけて手を合わせる。
今日はそんな日だった。

合わせた手の中には
昔、おばあちゃんが作ってくれた
小豆入りのお手玉がぽんっと授けられたような
そんな錯覚を覚えた。
posted by Shara at 21:01| Comment(2) | TrackBack(0) | I think so… | 更新情報をチェックする

2012年07月10日

ベルさんへ

ベルさん
覚えていらっしゃらないでしょう?

私は、3度程お仕事をご一緒させて頂きました。
あの頃の私は、今以上に未熟者で
ベルさんがどんなに偉大な方かも わかっているようなわかっていないような…

そんな私にも、ベルさんは
にこやかにご挨拶下さいました。
本番前に お付きの方と舞台袖に入られる時
一列になってお迎えするとき、
ベルさんが入られただけで、空気が一変するのが
若輩者の私にもはっきりわかりました。

張りつめた緊張感
そこにベルさんがいらっしゃるだけで
ただそれだけで
ベルさんのオーラで空気が一変してしまう…
いろんな方々とお仕事をさせて頂きましたが、
ベルさんのオーラは独特で、
とても「ベルさん」と呼べる空気ではありませんでした。
あのオーラを超えるオーラに 未だに私は出逢ったことがありません。

かと思うと、
大入りパーティーの時には
自らマジックショーを買って出てくださって、
ちょっとネタが見えたときに ぺろっと照れ笑いなさる姿は
おこがましくも、かわいらしいおばぁちゃんだ…
と思っていました。

あの頃は帝国ホテルにお住まいでしたよね。
一度だけ、どうしてそうなったか覚えていませんが
お招き頂いたときに、高貴な白檀のような薫りにうっとりしたことを
私は今でも覚えています。

私が東京を離れてから、
ベルさんがどんなに偉大な女優さんだったのか
改めて気づかされることがたくさんあって
私は、本当に、ご一緒にお仕事をさせて頂けたことを
とても幸せに、誇りに思いました。

私と同世代の人間は、きっとベルさんのこと
あまり知らないと思います。
私も、お仕事をご一緒させて頂くことがなかったら
きっと知らないまま生きていたと思います。
そして
今日の訃報も、へぇ…としか思っていなかったと思います。

芝居も舞踊も三味線も
何をなさってもすばらしく、舞台上のものでベルさんに不可能なものはないのではないかと思いました。

今 ここに香華の台本があります。
徳川の女たちの台本もあります。
きっかけを書き足して、何度も読み返していた台本。
でも、結局本番では、ベルさんのきっかけのセリフで
必ず身体が動いていました。
台本を追わずとも、ベルさんの氣に寄り添っていれば
自ずと身体が動くことが
あの頃は不思議でたまりませんでしたが
今なら あれが何故なのか、はっきりとわかります。

ベルさん
今はしあわせですか?
穏やかですか?
馴染みだった偉大な役者の方々とは
もうお会いになっていらっしゃいますか?

マジックショーを披露して
少女のように にこっと笑っていらっしゃいますか?

つつしんでご冥福をお祈りいたします。


山田 五十鈴 様へ



追伸
本番中に舞台袖のトイレに駆け込んで
ドアを思いっきり開けたら
そこに思いっきりベルさんがいらっしゃって
慌ててトイレから飛び出して
そこでお付きの男性から叱られていた時
何事もなかったように出てこられて
「ごめんなさいね。驚かせて。
カギをかけてなかった私が悪いのよ…」
って仰って、私をかばってくださったこと。
未だに忘れられません。


いろんな意味で…


ベルさん
天国ではトイレのドアのカギは
かけてくださいね…
私が天国に逝ったら、慌てて駆け込んで
また開けちゃうかもしれないので…

posted by Shara at 23:17| Comment(1) | TrackBack(0) | Life is beautiful! | 更新情報をチェックする

2012年06月30日

飲みたい気分の日

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今日は朝早く それもかなり早くに突然電話が鳴って
「打ち合せって言うの忘れてた。10時に」
って言葉に
「いつの10時ですか?」
って聞いたら
「今日の午前10時」
って返ってきて、目が点になるのを飛び越えて
血の気が引いたのからスタート。
それも 打ち合せの場所は
アトリエから30キロくらい離れた場所。

頭を抱えて情報をあちこちから集めて
結局、そんなに急ぐことでもない内容で
それで1日が番狂わせになってしまいました。

それはそうと
久しぶりに戻ってきて
温かいコメント頂いて ありがとうございます。


今日は1日中雨で
今もすごい音で雨が降っていて…
スコール並みの雨量に
時折二代目が目を開けて外を見たりしています。

私は とりあえずパソコンでデータを作成したりもして、
マウスが寿命に近づいたなぁ…新しいのを買わねばなぁ…と
選択範囲を失敗しつつ イライラしつつ…
ダメだといっては休憩しつつ…

あっという間に1日が終わってしまいました。


薬を飲むようになって、お酒を控えなければならなくなって
ずいぶん長い間飲んでいません。
普段は、まぁ飲まなきゃ飲まないでいいやって思っていますが
時々、ふと 飲みたいなぁ…
って思うことがあります。

こないだ関東に出向いたとき
浅草で食事した時に撮影したホッピー。
昔 よく仕事終わりに
新橋のガード下でみんなで乾杯していたホッピー。
そういえば関東を離れてから
ホッピーって飲んだことが無い…
久しぶりのホッピーの瓶は、なにか懐かしい感じがしました。

今度は神谷バーで電気ブランを飲みながら
カミカツでもちょっとつまみつつ談笑したいなぁ…
そう思いながら、吾妻橋から写真を撮って浅草を後にしました。


お酒を飲むと何かを忘れられるとか
そんなことではなく、
お酒を飲むと なんだかいろんなことを思い出したり
語ってみたりしたくなる…

最近、何かについて
真剣に語ったことがあっただろうか…
朝まで時間を忘れて、ひとつのことについて
気が済むまで語り合ったことってあっただろうか…
誰かの話を延々聞くだけじゃなく、
話そうと思っていることを呑み込んでしまってしまうのではなく、
懇々とぶつかりながら語ったことって最近ないし
また そんな人間が周囲にいないような

ふとそんな気がした今夜。

なんだかとても飲みたい気分になったのでした。
posted by Shara at 23:19| Comment(3) | TrackBack(0) | つれづれ… | 更新情報をチェックする

2012年06月29日

ただいま お元気ですか? 久しぶりです…

みなさん
本当にご無沙汰していました。
ずっと ずっと
自分の中で時間が停まったままで、
それを動かすことがなかなかできなくて…

こんなにも月日が経過してしまいました。

初代の三回忌も終えて、
二代目も2歳になりました。

そして私は…
私は何もかわらないままです。

変わったことといったら
病状が悪化したくらいです。

ただいま みなさん
お待たせしました。


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クリームソーダ
懐かしく感じる世代って
どれくらいまでなんでしょうね…?

私は とても懐かしく感じます。

幼い頃 よくお願いして飲んでいました。
初めて従姉に連れて行ってもらった喫茶店で飲んだのも
クリームソーダでした。

この緑色のソーダとバニラアイス
ソーダがアイスにくっついて凍ったところを
ちまちまと食べるのがスキでした。

20代の頃、婚約破棄して
落ち込んで高速道路を両親に連れられて熊本に戻るとき
SAのレストランで クリームソーダ…
「いつになったら 飲むのをやめるのかねぇ…」
そう言いながら笑った両親は、とても寂しそうであり
それでいてうれしそうでもありました。


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今年に入って大学病院でしばらくを過ごして
退院してから 久しぶりに上京。
落ち込んだ時に先輩に連れて行ってもらったカフェは
昔と変わらないまま 同じ場所にありました。

ひとつ違うのは
隅田川の向こう側にスカイツリーが建っていることくらいでした。

二代目にとっては 初めての東京。
初めての飛行機。

私は二代目と懐かしい思い出の場所を歩きました。


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お待たせしました。
Cafe*de-light 1日限りの実店舗企画
スタートします。
熊本市西区のカフェで。

先日、久しぶりにラジオ局に行って
初めて出演側に立ちました。
uストリームで配信もされていて
1000人以上の人が聞いていてくださいました。

スタジオに招待して頂いた奥田圭さん
本当にありがとうございます。

もちろん
Cafe*de-lightですから
ただのカフェではありません。

少しずつこちらのブログも更新していきます。
リニューアルのために閉鎖していたサイトも
改めて作り直してアップすることにしました。

少しずつ 少しずつ
私の時間も動かし始めないと…

これからも よろしくお願いします。



posted by Shara at 00:32| Comment(2) | TrackBack(0) | I think so… | 更新情報をチェックする

2011年04月22日

「今を生きろ」か「社会に出てくるな」か…

2011042101-1.jpg

最近 いろんなことが世間では起こっています。
3月の震災から原発問題、てんかんのキャリアを持つドライバーのクレーン事故
そして、皮肉にも「アースデイ」である4月22日0時から
とうとう原発から半径20キロ圏内が警戒区域となってしまいました。

私は特別 愛護精神が強い訳でもなければ
自然保護団体でもないです。
それどころか、自分の身体の制御すらままならない状態です。
裕福でもありません。
月の医療費が何万円にもなります。

わんたろさんがいてくれるのも
ゆとりで家族を迎えている訳ではなく
治療の一環として、傍にいてもらっているのです。
数日前から左下肢にも不具合が出てきて、
普通に歩けないことに わんたろさんは戸惑いをみせています。

病状が悪化をたどっていることに
とても不安を感じています。
おまけにPTSDの悪化。
転院した大学病院では、社会生活や仕事を抱えながらの治療に関しては
あまり前向きではないらしく、
とても現実的ではありません。

毎日朝からきちんと起きて
一太郎さんのところにお線香をあげて、
メールのチェックと電子新聞に目を通し
SNSのチェックをするのが日課です。
その間にわんたろさんはごはんを食べます。

被災地での動物達、飼い主さんの苦悩
原発の退避での生活の苦悩
クレーンが登校児童を巻き込んだこと。
その運転手がてんかんを持っていて、薬を飲み忘れていたということ。
警戒区域になる寸前に、最期の家畜の世話を涙ながらになさっていた畜産家の方…

いろんなニュースに対して
いろんなコメントが入っていたりします。
それにも目を通しているのですが、
放射能差別と同じように てんかん差別がまた持ち上がっているようです。

そして、目にした記事
「身障者は社会生活する資格はない。迷惑を被るのは健常者だ」
という見出し。
確かに今回の事件は、薬を飲み忘れたという過失
クレーン免許を申告しないで取得したこと
雇用先にも伝えていなかったこと
問題はあると思います。
そして、大きな可能性を持つ大切な命をたくさん奪ってしまった…
薬さえ飲み忘れていなければ防げることだったのに。
実際、てんかんも2年間発作が起こっていなければ免許がとれます。
薬を飲んで上手につきあっていくことができる可能性が高い病気です。
どうして大事な薬を飲み忘れてしまったのか…
薬さえ飲んでいれば……
てんかんを隠していたのも、分かれば仕事に就けないとか
差別を恐れてということが多少なりともあったのではないかと思います。

決して加害者の肩を持つ訳ではないのです。
薬を飲み忘れた加害者に問題があるからです。
だけど、申告することで言われのない差別を受ける社会を作ったのは
まぎれもない健常者です。

放射能が伝染するとか、訳の分からない不安のタネを撒いたのも
当事者とは関係ない地域の人です。


私は、普通に生まれて
普通に生活して
普通に仕事をしてきました。
それが突然 事故で歯車が狂いはじめました。
ストーカー事件に巻き込まれてPTSDを背負ってから
また歯車が狂いました。

社会生活から弾き飛ばされた人間は
もう社会に戻ってくるな
迷惑なだけだ…
少なくともそう思っている日本人は
けっこういるんだなぁ…と思いながら
コメントに目を通しました。

被害者の苦しみの何が分かってこういうことを言うの?
加害者の苦しみの何が分かってこういうことが言えるの?
障害に苦しむ人間が、少しでも自立しようとすることが
そんなに社会では迷惑なことなの?
私は、何の助成もなく控除もなく、
悪化していく身体と毎日つきあいながら
それでも、お金がないと病院に行くこともできない
わんたろさんのごはんも買うこともできない
いちばん中途半端な状況に置かれて、
転院した病院も、働きながら上手に病気とつきあう治療ではなく
いろんなヒトの力を借りながら なんとかやっと生きている状態です。
その中で、できることをできる範囲で少しずつやっているだけです。

ちょうど肉体的にも精神的にもしんどくて
生きている意味がわからなくなった時に
「健常者が迷惑を被るだけ」という内容と
多くのそういった意見に目を通して
なんだか 気持ちがぶれているみたいです。

いろんな天災も事故も
結局 残された人間が背負う宿命にあります。
けれど、それを背負うことができるかというのは
当人にしかわからないものです。

今回の災害で、みんな がんばろうって言っています。
でも、すべてを無くして 大事な家畜や犬猫を置き去りにして
苦渋の選択を強いられて、自分の住み慣れた家に戻ることができない人に
がんばろうって言っても、何をどうがんばるの?って思われるのがオチだと思います。
少なくとも、私が福島の被災地に住んでいたらそう思います。

がんばろうって言葉は簡単です。
現地では訓練された自衛官も二度と行きたくないと
軽犯罪を起こしてでも逃れたいような惨状。
原発内で亡くなった東電の社員の遺体も、放射能に汚染されている理由から
そのまま放置するしかないということに対する、遺族の憤り。
社員よりも、下請け孫請けの会社への復旧依頼。莫大な報酬と記録されない放射線手帳…

なんだか少しも力を合わせてない気がして…
住民の意見を半ば無視したような行政も
放射能避難での転入で放射能測定器での証明書がないと
転入を認めないとか
いわきナンバーは給油拒否とか

これのどこが一丸なんだろう…
がんばりたくてもがんばれない状況を
災いから逃れた人が勝手に作っているのに。

そして、私も思うのです。
大学病院の治療で、社会復帰は当分無理だと
他人事のように言われて、
その間の救済策など医者は考えてはくれないんだろうなぁ…と。

posted by Shara at 01:54| Comment(2) | TrackBack(0) | I think so… | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

一周忌をすぎて

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今年もこの季節になりました。
初代を亡くして一周忌。
早いような遅いような…

今では二代目が傍にいてくれています。
それでも、やっぱり気持ちが晴れない日も多く…

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去年まで一太郎さんと見つめていたサクラは
二代目と見つめています。
ちょうどホリプロのサクラレポーターになったこともあり
内地最南端のソメイヨシノを観察しています。

一太郎さんが四十九日に出産予定だった二代目。
二日遅れて帝王切開で生まれてきたのは
生まれ変わりの順番を無理に追い越したのではないかと
みんな言ってくれています。
「おれには まだやり残したことがあるから
早く生まれ変わらないといけないんだ!」
身体の取り合いで2日間出産が遅れたのではないかと
みんなそう言ってくれています。

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サクラが花吹雪を散らし
ツツジが咲き始めた一周忌。
去年と変わらず抜けるような青空でした。

どんなつらいときも
私が事件に巻き込まれても
身を呈して私を守ってくれた一太郎さん。
私の不安や焦りや涙を 傍で見つめていた一太郎さん。

それが伝わってしまうのか
二代目は なかなか笑わないコになっていました。
まだまだパピーですから、
初代のような仕事は無理な話です。

それでも彼なりにがんばってくれています。

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先日やっと笑っている二代目を写真におさめることができました。
まるで、初代の魂が少し表に出てきたような
そんな気がしました。

毎日が痛くて苦しくて
PTSDの再発もあり、最大の理解者であった一太郎さんは虹の橋を渡って…
でも、いちばん大事なことは、二代目が受け継いでいるようです。
まだまだパピーで、うまくいかないぶぶんもありますが
それでも私にとっては 生きていくために必要なバディーです。

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病院も大学病院に転院になり、
心療内科から精神神経科への転院になり、
うまくいけば、社会復帰への近道だからと思いつつ
それでも、社会復帰できない私のことを
両親はどう思っているのでしょうか…

時折 私の今生きている意味がわからなくなる日々が襲ってきます。
痛くて不自由な身体を抱えて、恐ろしくて二代目と一緒でないと外に出ることもできず
去年までに貯金も尽き果てて、両親に経済的なお世話になっている…
生きているだけでお金がかかるのに
お金を生み出す術がない…
この悲しさとうしろめたさ…

なぜ 私のような人間が生き残り
優秀だった仕事仲間が被災して安否がまだ確認できないのだろう…
私さえ健康だったら、両親へ旅行のプレゼントをしてあげたり
いろんなことができたのに…
生きているだけで両親へも負担をかけています。

どんどん痛みが増して、不自由になる身体
悲しくて仕方ないけど
それでも季節は過ぎていって また新緑の季節が訪れてきています。

何か 私にできること
私が生きている意味
それを探さないと、二代目にとってもかわいそうですし
私もやりきれません。

そんなことを考えていた昨日今日でした。


posted by Shara at 22:08| Comment(7) | TrackBack(0) | Best Partner | 更新情報をチェックする

2011年03月20日

所詮愛玩でしかないのだろうか…

東日本が被災して1週間。

まさかこんな大きな災害が起こるなんて思っていませんでした。

そして、被災した犬猫やその飼い主が
窮地に追い込まれていっています。

もちろん災害が大きすぎて、
人が生きていくだけでも精一杯の状況です。
最初は「おたがいさまだから…」と
避難所でも黙認されていた犬猫も
1週間も経過すると状況が変わってきているようです。


私は、初代 二代目ともに
愛玩として迎えた訳ではないし、
初代は本当にヘルパー犬として、よく私の生活の手助けをしてくれていました。
二代目は、まだまだですが、
それでも彼なりに、私のことを支えてくれています。
身体表現性障害のある私にとっては
なくてはならない存在です。

日本ではやはり犬猫は所詮愛玩でしかないのか…?
飼う 飼われる の関係だけでしかないのか…


いま、私にできること
私なりにやっています。
小さなことだけど がんばっています。
http://cafe-de-light.muse.bindsite.jp/

犬猫と生活していた人にとっては
人間じゃなくても「家族」
しかし、世間一般ではまだまだそんな認識は遠いようです。

各地で犬猫を手放さずに被災した人が避難できるように
みんなが少しずつがんばっています。

私も 犬と生活しているひとりとして
できることをやっていきたいと思います。

金がある人は金を 力のある人は力を
何も持っていない人は元気を出せ

最近 あちこちのブログで見かける言葉です。

日本は、犬猫を食べる時代は終わった。
犬猫を残飯整理に飼うことも終わった。
ファションとして飼うことも終わりにしてもらいたい。
災害救助犬 盲導犬 聴導犬 介助犬 ヘルパー犬 セラピー犬
仕事を持って活躍している犬もたくさんいます。

もし、この記事を見てくださって
少しでも協力してくださる方がいらっしゃるならば
力を貸してください。

よろしくお願いします。

posted by Shara at 23:28| Comment(2) | TrackBack(0) | Best Partner | 更新情報をチェックする
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