2011年03月07日

涙の訳

本当に久しぶりの更新です。
春になったら、また昔のように更新しても
大丈夫かなぁと思ってもいますが、
まだ少し怖い部分もあります。

元からの事故の後遺症だけでも辛かったのに
ストーカー事件に巻き込まれて
このブログも、なかなか自由に更新出来ない日々が続いていました。

もうすぐ一太郎さんの一周忌が近いのもあって
心が沈むことがあります。
いつも一緒だった一太郎さん。
事件のときも、身を呈して守ってくれた一太郎さん…
二代目は当たり前のように私の傍にいてくれて
まるで初代の教えを守っているかのようですが、

それでも、私は一太郎さんを思い出します。

決して二代目の一太郎さんが頼りない訳ではありません。
ただ、多分 私の病気が少し芳しくないから
それで思い出すのかもしれません。

日に日に自由がきかなくなっていく身体には
大量の薬が必要で、
時々、東京にいた頃のように、
医療用麻薬に頼り切ってしまった方がどれだけ楽かと
そんなことを考えるようになってしまいました。
1日 また1日と日々を送るにつれて
最近は悪化をたどっています。
4月からは大学病院への転院も決まりました。

今 私ができることといえば
初代 二代目への感謝の気持ちとして
初代宛に頂いたおやつやごはんのお供えを
定期的に愛護センターに寄付することくらいです。

PTSDの再発 左側頭部から肩にかけての筋肉の硬直
だいたいの闘病者は一度は思うことですが、
何のために生きているのだろう
そう思いはじめました。

自分の貯蓄だけでは生活も危うくなり
両親に頭を下げました。
自活出来ていたのができなくなるという屈辱。
そして、
「お金を出してあげてるんだから言うことくらい素直に聞きなさい!」
という両親の言葉。

今の私は 生きているのではなく
もはや 生かされているのではないのかとさえ錯覚してしまいます。

生きているのは意味があるから
前に進もうと励むから
だけど 今の私は このままだと親の言いなりにならざるを得ません。
やりたいことも思う存分できず、ただ生きているだけ
それでも 私は生きているといえるのでしょうか?

2011030601.jpg


今日、初代を天国に送ってもらったお寺の本堂に
しばらくお祈りをしていました。
二代目の一太郎さんも一緒でした。

2011030602.jpg


ふと見ると
一太郎さんは涙をこぼしていました。
私との生活が苦痛なのかもしれません。
もちろん初代と比較したことなどありません。
今の一太郎さんは、とても私の支えになってくれています。

でも両親は言います。
「もっといいところにもらわれていたら
たくさんいろんなところに行けただろうに
わんたは可哀想だね…」
私も胸が痛みます。

2011030603.jpg


最近 私はどこに逃げて
どこで教えを乞うたらよいのか
そればかりを考えている気がします。

私の身体のためには一太郎が傍にいて
焦らせないようなプレッシャーを与えないような環境が
いちばん精神的だけでも楽になれるそうです。
精神的に楽になれば、自ずと身体のことも考えられるのだそうです。

周囲に理解されない苦しみと
国や行政の助けもない不安の中
一太郎さんが流した涙の意味をすこし考えてしまいました。

一太郎さんは もっと普通のしあわせな家庭に行きたかったのか…
それとも
どうにもならない歯痒さ故の涙だったのか…
私にはわかりません。

そしてまた 私自身も思うことがあります。
九州に戻って、劇場を立ち上げた時点で
私の生きている間のお役目は終わってしまってのではないのかと。
それをだらだらと生きながらえているから
病状は悪化し、両親にも迷惑をかけ、一太郎を悲しませている…
そんな気がしてならないのです。

私の生きているにあたってのお役目
まだあるのかなぁ…
あるのなら それは何だろうなぁ…
今日は真剣に考えてしまいました。
posted by Shara at 01:00| Comment(5) | TrackBack(0) | I think so… | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
紅緒店長のパパちゃんです。

辛いな。しんどいな。

でもsharaと知り合いになれてパパちゃんはhappyだぞ。

これは本当だ。

パパちゃんもケガしたとき考えたことがある。

「俺の人生ってなんだ???」って。

おとんが死んで半年後にパパちゃん大けがしたんだけど、おかんもいるし。。。

正直まいったよ。

お互いにつらくて、痛くて、悲しいことが沢山あるけど、

尽きるまで、最後まで、暴れてやろうじゃないか!

どうせ普通にいったって人生80年。

ほんのわずかな時間なんだから!

なっ!
Posted by 三本木太郎 at 2011年03月07日 07:39
お母ちゃんも紅緒店長のパパしゃんと同じで、
Sharaさんに出会えて本当に良かったって思ってます。
漠然と考えることしかできていなかったお母ちゃんより、実際お寺に寄付など行動してるSharaさんの方がよっぽどしっかり存在し生きれていると思います。
確かにどうにもならない病気のことや、今の日本の国の補助のあり方など、どんなに頑張ろうとしても自力ではどうにもできないことはもどかしいです。
でも、Sharaさんは生きてるし生きてる意味だって絶対にありますよ。
わんたくんの涙は決してSharaさんのもとへきた後悔などではないとお母ちゃんは思います。
ワンコはときに、人間には見えない世界が見えているのだと思います。
わんたくんはきっとお寺に眠る そしてお寺から旅立って行ったワンちゃんたちとたくさんお話をしていたのではないでしょうか・・・。
わんたくんは感情がゆたかだからね。
だからゆっくりでも、わんたくんと今までのように少しずつ進んでみてはどうでしょう。
そして、せっかくご縁があってお母ちゃんとShara
さんは出会えたのだし
もどかしさやイライラの掃溜めでもいいから遠慮なくもたれかかって欲しいと思います。
Posted by メルセデスのお母ちゃん at 2011年03月07日 10:46
ご無沙汰しております。
色々と大変な日々を送られていたのですね。
ここからは私の個人的な意見です。

今、生きているということは必ず意味があって、アナタがいなくなると悲しむ者も必ずいます。

わんたもそう。
わんたの涙は、アナタが哀しい気持ちなのにそれを好転させてあげれないという涙だと思います。

アナタが笑えばわんたも笑うと思います。

ありきたりですが、わんたと一緒にいて幸せという感情をおもいっきりわんたに投げかけてみましょう。
そうすればわんたも同じように幸せな感情を投げ返してくれると思います。

ぜひ、もう一度笑顔で日々を楽しんでください。
Posted by お久しぶりです。 at 2011年03月07日 14:13
生きるも生かされるも、素晴らしい事だと思います。
『生きる』は自分の為に。
『生かされる』は誰かの為に。
共通点は『やり残した事』なのでは…と。
やり残した事を思い出し、それを遂げるまでの『道のり』。sharaさんは今、辛く厳しい道を歩いてますが
必ず乗り越えられるように神様が試しているんだと、僕は思いますよ(*^-゜)

sharaさんが『縁があって、二代目に出逢った』と思ってるように、わんたしゃんにも『縁』があってsharaさんと出逢ったんですから。
可哀想って思ってしまったら、わんたしゃんの立場がなくなってしまいますよ…。その気持ちが伝わってしまってつい涙で訴えたのかも…?!!




Posted by 野p at 2011年03月07日 14:32
たろちんは間違いなくSharaちんのとこにきてよかったんだよ。
他の誰かのとこのたろちんなんて想像できないし
そんな世界はきっとないんだと思う。
出会うべくして出会ったふたりだから
Sharaちんのとこ以外に幸せな家庭なんてないんだと思うよ。
Sharaちんの辛さや痛みや苦しみ。。。
分かるよなんて軽い言葉は言えないけど
Sharaちんが今までずっと頑張ってきたこと
とんぼちんはたしかに感じてきました。
生きているにあたってのお役目はきっとある。
たろちんと一緒に探していこ(^^)v
Posted by とんぼちん at 2011年03月09日 01:02
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