護り石が増えました。
これで準備は整ったと言われても、イマイチピンときません。
物事には時期とタイミングがあるといいますが、それが「今」ということに
普通に生きているとなかなか気づきません。
気づいたら、あぁあれが分岐点だったのだなと後にわかることが大半です。
お見通しだったらきっと楽だろうなと思ったこともありますが、
実際お見通しになってしまうと、見たくないものまで見てしまいます。
知らなくていいことまで知ってしまうと、人は苦しくなります。
自分の知りたいことだけをお見通しなんて都合のいい話などどこにもありません。
それを押し通して人と接していると自分が壊れてしまいます。
それを考えると、ほどほどが一番いいし、「今」っていうタイミングが常にわからなくても仕方ないかなと…
それが人ってものなのかなと。
だから、人は何かを信じていたいし
神様や仏様に問うてみたりするものなのかなと思いました。
なので、お護りがひとつ増えるのも悪くないことかなと最近思えてきました。

今日の未明、満月の下でブレスレットを重ねてなじんでもらいました。
「あ…龍が玉を掴んだ」
そんなことを言われて、車の窓の外を見ると
月明かりに照らされた雲。
ちょうど龍が満月を掴んでいるように見えました。
明け方前の月明かり 凛とした空気 時折走る風
写真では残せないものがたくさんなので、携帯で撮った写真だけ見ても伝わらないと思います。
体感の重要性です。
数日前も、十三夜の月の空に龍が遊ぶような光景を夜空に見ました。
とても不思議な それでいて神々しい光景。
偶然と言ってしまえばそれまでだし、モノは言いようと言ってしまえばそれまでですが、
それではあまりにも人生は味気ないものです。
東の空が朝焼けに染まる頃、西の空には輝きが白に変わる満月の姿を
しばらく黙って見つめていました。
そういえば 雲に遮られることなく沈む夕日を見たあと
東の空に大きな美しい満月を眺めたこともありました。
「月と太陽のランデブーだ」
そんな言葉を横で聞きながら、あっという間に朝がやってきました。
当たり前の朝と当たり前の夜を何度もくぐり抜けてやっと巡り逢う丸い月と太陽の姿。
「刻は満ちた 今こそー」
すっかり日が昇り日常に戻った私に 東側から便りが届き
「今」ということの意味を考え込んだ1日でした。