2011年04月22日

「今を生きろ」か「社会に出てくるな」か…

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最近 いろんなことが世間では起こっています。
3月の震災から原発問題、てんかんのキャリアを持つドライバーのクレーン事故
そして、皮肉にも「アースデイ」である4月22日0時から
とうとう原発から半径20キロ圏内が警戒区域となってしまいました。

私は特別 愛護精神が強い訳でもなければ
自然保護団体でもないです。
それどころか、自分の身体の制御すらままならない状態です。
裕福でもありません。
月の医療費が何万円にもなります。

わんたろさんがいてくれるのも
ゆとりで家族を迎えている訳ではなく
治療の一環として、傍にいてもらっているのです。
数日前から左下肢にも不具合が出てきて、
普通に歩けないことに わんたろさんは戸惑いをみせています。

病状が悪化をたどっていることに
とても不安を感じています。
おまけにPTSDの悪化。
転院した大学病院では、社会生活や仕事を抱えながらの治療に関しては
あまり前向きではないらしく、
とても現実的ではありません。

毎日朝からきちんと起きて
一太郎さんのところにお線香をあげて、
メールのチェックと電子新聞に目を通し
SNSのチェックをするのが日課です。
その間にわんたろさんはごはんを食べます。

被災地での動物達、飼い主さんの苦悩
原発の退避での生活の苦悩
クレーンが登校児童を巻き込んだこと。
その運転手がてんかんを持っていて、薬を飲み忘れていたということ。
警戒区域になる寸前に、最期の家畜の世話を涙ながらになさっていた畜産家の方…

いろんなニュースに対して
いろんなコメントが入っていたりします。
それにも目を通しているのですが、
放射能差別と同じように てんかん差別がまた持ち上がっているようです。

そして、目にした記事
「身障者は社会生活する資格はない。迷惑を被るのは健常者だ」
という見出し。
確かに今回の事件は、薬を飲み忘れたという過失
クレーン免許を申告しないで取得したこと
雇用先にも伝えていなかったこと
問題はあると思います。
そして、大きな可能性を持つ大切な命をたくさん奪ってしまった…
薬さえ飲み忘れていなければ防げることだったのに。
実際、てんかんも2年間発作が起こっていなければ免許がとれます。
薬を飲んで上手につきあっていくことができる可能性が高い病気です。
どうして大事な薬を飲み忘れてしまったのか…
薬さえ飲んでいれば……
てんかんを隠していたのも、分かれば仕事に就けないとか
差別を恐れてということが多少なりともあったのではないかと思います。

決して加害者の肩を持つ訳ではないのです。
薬を飲み忘れた加害者に問題があるからです。
だけど、申告することで言われのない差別を受ける社会を作ったのは
まぎれもない健常者です。

放射能が伝染するとか、訳の分からない不安のタネを撒いたのも
当事者とは関係ない地域の人です。


私は、普通に生まれて
普通に生活して
普通に仕事をしてきました。
それが突然 事故で歯車が狂いはじめました。
ストーカー事件に巻き込まれてPTSDを背負ってから
また歯車が狂いました。

社会生活から弾き飛ばされた人間は
もう社会に戻ってくるな
迷惑なだけだ…
少なくともそう思っている日本人は
けっこういるんだなぁ…と思いながら
コメントに目を通しました。

被害者の苦しみの何が分かってこういうことを言うの?
加害者の苦しみの何が分かってこういうことが言えるの?
障害に苦しむ人間が、少しでも自立しようとすることが
そんなに社会では迷惑なことなの?
私は、何の助成もなく控除もなく、
悪化していく身体と毎日つきあいながら
それでも、お金がないと病院に行くこともできない
わんたろさんのごはんも買うこともできない
いちばん中途半端な状況に置かれて、
転院した病院も、働きながら上手に病気とつきあう治療ではなく
いろんなヒトの力を借りながら なんとかやっと生きている状態です。
その中で、できることをできる範囲で少しずつやっているだけです。

ちょうど肉体的にも精神的にもしんどくて
生きている意味がわからなくなった時に
「健常者が迷惑を被るだけ」という内容と
多くのそういった意見に目を通して
なんだか 気持ちがぶれているみたいです。

いろんな天災も事故も
結局 残された人間が背負う宿命にあります。
けれど、それを背負うことができるかというのは
当人にしかわからないものです。

今回の災害で、みんな がんばろうって言っています。
でも、すべてを無くして 大事な家畜や犬猫を置き去りにして
苦渋の選択を強いられて、自分の住み慣れた家に戻ることができない人に
がんばろうって言っても、何をどうがんばるの?って思われるのがオチだと思います。
少なくとも、私が福島の被災地に住んでいたらそう思います。

がんばろうって言葉は簡単です。
現地では訓練された自衛官も二度と行きたくないと
軽犯罪を起こしてでも逃れたいような惨状。
原発内で亡くなった東電の社員の遺体も、放射能に汚染されている理由から
そのまま放置するしかないということに対する、遺族の憤り。
社員よりも、下請け孫請けの会社への復旧依頼。莫大な報酬と記録されない放射線手帳…

なんだか少しも力を合わせてない気がして…
住民の意見を半ば無視したような行政も
放射能避難での転入で放射能測定器での証明書がないと
転入を認めないとか
いわきナンバーは給油拒否とか

これのどこが一丸なんだろう…
がんばりたくてもがんばれない状況を
災いから逃れた人が勝手に作っているのに。

そして、私も思うのです。
大学病院の治療で、社会復帰は当分無理だと
他人事のように言われて、
その間の救済策など医者は考えてはくれないんだろうなぁ…と。

posted by Shara at 01:54| Comment(1) | TrackBack(0) | I think so… | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

一周忌をすぎて

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今年もこの季節になりました。
初代を亡くして一周忌。
早いような遅いような…

今では二代目が傍にいてくれています。
それでも、やっぱり気持ちが晴れない日も多く…

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去年まで一太郎さんと見つめていたサクラは
二代目と見つめています。
ちょうどホリプロのサクラレポーターになったこともあり
内地最南端のソメイヨシノを観察しています。

一太郎さんが四十九日に出産予定だった二代目。
二日遅れて帝王切開で生まれてきたのは
生まれ変わりの順番を無理に追い越したのではないかと
みんな言ってくれています。
「おれには まだやり残したことがあるから
早く生まれ変わらないといけないんだ!」
身体の取り合いで2日間出産が遅れたのではないかと
みんなそう言ってくれています。

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サクラが花吹雪を散らし
ツツジが咲き始めた一周忌。
去年と変わらず抜けるような青空でした。

どんなつらいときも
私が事件に巻き込まれても
身を呈して私を守ってくれた一太郎さん。
私の不安や焦りや涙を 傍で見つめていた一太郎さん。

それが伝わってしまうのか
二代目は なかなか笑わないコになっていました。
まだまだパピーですから、
初代のような仕事は無理な話です。

それでも彼なりにがんばってくれています。

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先日やっと笑っている二代目を写真におさめることができました。
まるで、初代の魂が少し表に出てきたような
そんな気がしました。

毎日が痛くて苦しくて
PTSDの再発もあり、最大の理解者であった一太郎さんは虹の橋を渡って…
でも、いちばん大事なことは、二代目が受け継いでいるようです。
まだまだパピーで、うまくいかないぶぶんもありますが
それでも私にとっては 生きていくために必要なバディーです。

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病院も大学病院に転院になり、
心療内科から精神神経科への転院になり、
うまくいけば、社会復帰への近道だからと思いつつ
それでも、社会復帰できない私のことを
両親はどう思っているのでしょうか…

時折 私の今生きている意味がわからなくなる日々が襲ってきます。
痛くて不自由な身体を抱えて、恐ろしくて二代目と一緒でないと外に出ることもできず
去年までに貯金も尽き果てて、両親に経済的なお世話になっている…
生きているだけでお金がかかるのに
お金を生み出す術がない…
この悲しさとうしろめたさ…

なぜ 私のような人間が生き残り
優秀だった仕事仲間が被災して安否がまだ確認できないのだろう…
私さえ健康だったら、両親へ旅行のプレゼントをしてあげたり
いろんなことができたのに…
生きているだけで両親へも負担をかけています。

どんどん痛みが増して、不自由になる身体
悲しくて仕方ないけど
それでも季節は過ぎていって また新緑の季節が訪れてきています。

何か 私にできること
私が生きている意味
それを探さないと、二代目にとってもかわいそうですし
私もやりきれません。

そんなことを考えていた昨日今日でした。


posted by Shara at 22:08| Comment(7) | TrackBack(0) | Best Partner | 更新情報をチェックする

2011年03月20日

所詮愛玩でしかないのだろうか…

東日本が被災して1週間。

まさかこんな大きな災害が起こるなんて思っていませんでした。

そして、被災した犬猫やその飼い主が
窮地に追い込まれていっています。

もちろん災害が大きすぎて、
人が生きていくだけでも精一杯の状況です。
最初は「おたがいさまだから…」と
避難所でも黙認されていた犬猫も
1週間も経過すると状況が変わってきているようです。


私は、初代 二代目ともに
愛玩として迎えた訳ではないし、
初代は本当にヘルパー犬として、よく私の生活の手助けをしてくれていました。
二代目は、まだまだですが、
それでも彼なりに、私のことを支えてくれています。
身体表現性障害のある私にとっては
なくてはならない存在です。

日本ではやはり犬猫は所詮愛玩でしかないのか…?
飼う 飼われる の関係だけでしかないのか…


いま、私にできること
私なりにやっています。
小さなことだけど がんばっています。
http://cafe-de-light.muse.bindsite.jp/

犬猫と生活していた人にとっては
人間じゃなくても「家族」
しかし、世間一般ではまだまだそんな認識は遠いようです。

各地で犬猫を手放さずに被災した人が避難できるように
みんなが少しずつがんばっています。

私も 犬と生活しているひとりとして
できることをやっていきたいと思います。

金がある人は金を 力のある人は力を
何も持っていない人は元気を出せ

最近 あちこちのブログで見かける言葉です。

日本は、犬猫を食べる時代は終わった。
犬猫を残飯整理に飼うことも終わった。
ファションとして飼うことも終わりにしてもらいたい。
災害救助犬 盲導犬 聴導犬 介助犬 ヘルパー犬 セラピー犬
仕事を持って活躍している犬もたくさんいます。

もし、この記事を見てくださって
少しでも協力してくださる方がいらっしゃるならば
力を貸してください。

よろしくお願いします。

posted by Shara at 23:28| Comment(2) | TrackBack(0) | Best Partner | 更新情報をチェックする

2011年03月10日

たまにはこんな日も

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先日 オープンカフェでお茶をいただきました。
みなさんからのたくさんのコメントを思い出しながら。

記事にすれば きっとみなさん心配するだろうと思いました。
でも、私は自分史の中の事実として、思ったことは記しておこうと
そう思ったのです。
別に簡単に生きることをあきらめるつもりはないのですが、
いつ何が起こるかわかりませんし…

来月からは大学病院に転院。
ひょっとしたら治験協力依頼もあるかもしれません。
私は、治験にはなるべく協力しようと思っています。
それで、今後私のような辛さを味わう人が減るのなら
それでも私が生きてきた意味もあるものです。
こんなに薬漬けの身体ですから、臓器はあまり役に立てそうもないし…

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カフェでお茶を飲みながらいろいろ考えたり
1日の終わりをおいしいお茶で終わらせること

考えてみれば3年前までは、日常のことでした。

それが今ではほとんどなくなってしまいました。

一太郎さんと一緒に いろんな場所にでかけて
同じものを見て くつろいで…
今 同じことを二代目のわんたろさんにしてあげられないことが
なんとなく残念です。


これから少しでも病状がよくなって
あちこちに出かけられるようになったらいいなぁ…

それよりも何よりも
こうやって外の空気にふれながら
おいしいお茶をいただくということが
私にとって 本当はいちばんのリラックスなのかな…

そんなことを考えました。
posted by Shara at 02:11| Comment(1) | TrackBack(0) | I think so… | 更新情報をチェックする

2011年03月07日

涙の訳

本当に久しぶりの更新です。
春になったら、また昔のように更新しても
大丈夫かなぁと思ってもいますが、
まだ少し怖い部分もあります。

元からの事故の後遺症だけでも辛かったのに
ストーカー事件に巻き込まれて
このブログも、なかなか自由に更新出来ない日々が続いていました。

もうすぐ一太郎さんの一周忌が近いのもあって
心が沈むことがあります。
いつも一緒だった一太郎さん。
事件のときも、身を呈して守ってくれた一太郎さん…
二代目は当たり前のように私の傍にいてくれて
まるで初代の教えを守っているかのようですが、

それでも、私は一太郎さんを思い出します。

決して二代目の一太郎さんが頼りない訳ではありません。
ただ、多分 私の病気が少し芳しくないから
それで思い出すのかもしれません。

日に日に自由がきかなくなっていく身体には
大量の薬が必要で、
時々、東京にいた頃のように、
医療用麻薬に頼り切ってしまった方がどれだけ楽かと
そんなことを考えるようになってしまいました。
1日 また1日と日々を送るにつれて
最近は悪化をたどっています。
4月からは大学病院への転院も決まりました。

今 私ができることといえば
初代 二代目への感謝の気持ちとして
初代宛に頂いたおやつやごはんのお供えを
定期的に愛護センターに寄付することくらいです。

PTSDの再発 左側頭部から肩にかけての筋肉の硬直
だいたいの闘病者は一度は思うことですが、
何のために生きているのだろう
そう思いはじめました。

自分の貯蓄だけでは生活も危うくなり
両親に頭を下げました。
自活出来ていたのができなくなるという屈辱。
そして、
「お金を出してあげてるんだから言うことくらい素直に聞きなさい!」
という両親の言葉。

今の私は 生きているのではなく
もはや 生かされているのではないのかとさえ錯覚してしまいます。

生きているのは意味があるから
前に進もうと励むから
だけど 今の私は このままだと親の言いなりにならざるを得ません。
やりたいことも思う存分できず、ただ生きているだけ
それでも 私は生きているといえるのでしょうか?

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今日、初代を天国に送ってもらったお寺の本堂に
しばらくお祈りをしていました。
二代目の一太郎さんも一緒でした。

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ふと見ると
一太郎さんは涙をこぼしていました。
私との生活が苦痛なのかもしれません。
もちろん初代と比較したことなどありません。
今の一太郎さんは、とても私の支えになってくれています。

でも両親は言います。
「もっといいところにもらわれていたら
たくさんいろんなところに行けただろうに
わんたは可哀想だね…」
私も胸が痛みます。

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最近 私はどこに逃げて
どこで教えを乞うたらよいのか
そればかりを考えている気がします。

私の身体のためには一太郎が傍にいて
焦らせないようなプレッシャーを与えないような環境が
いちばん精神的だけでも楽になれるそうです。
精神的に楽になれば、自ずと身体のことも考えられるのだそうです。

周囲に理解されない苦しみと
国や行政の助けもない不安の中
一太郎さんが流した涙の意味をすこし考えてしまいました。

一太郎さんは もっと普通のしあわせな家庭に行きたかったのか…
それとも
どうにもならない歯痒さ故の涙だったのか…
私にはわかりません。

そしてまた 私自身も思うことがあります。
九州に戻って、劇場を立ち上げた時点で
私の生きている間のお役目は終わってしまってのではないのかと。
それをだらだらと生きながらえているから
病状は悪化し、両親にも迷惑をかけ、一太郎を悲しませている…
そんな気がしてならないのです。

私の生きているにあたってのお役目
まだあるのかなぁ…
あるのなら それは何だろうなぁ…
今日は真剣に考えてしまいました。
posted by Shara at 01:00| Comment(5) | TrackBack(0) | I think so… | 更新情報をチェックする

2011年01月09日

大事なパピー君

久しぶりの更新です。

私の体調の悪化で、ずいぶん更新をお休みしていました。

パピー君がもういよいよダメかもしれません。
私は夜間救急病院にでも連れて行きたいくらいでしたが、
高齢のため、それはいいよと両親に言われました。

パピー君は埼玉県春日部市出身です。
アメショーとノルウェージャンのハーフとして
ブリーダーさんのところで産まれました。
私はそれを「猫の手帳」で、知りました。
上京して1年。どうしても傍にいてくれる猫が欲しかった…
書類選考のあと面談を経て パピー君の命を家族にすることができました。

ぱぴーと私.jpg

それから
そんなに辛いことも、うれしいことも
ずっと一緒に経験してきました。

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関東から関西への引っ越しの時
次の仕事がジャニーズだったということで、
留守番はかわいそすぎると
両親がパピー君をかわいがることになり
実家のネコになりましたが、
機会あるたびにパピー君のことは気がかりでした。

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うれしいことも悲しいことも
ずっと一緒に過ごしてきました。
初代の一太郎がきてからも
姉御として一目置かれていました。

産まれてことして18歳。
そろそろ覚悟がいる時期だということはわかっているのに
いざ 夜に電話がかかってくるとずきんときます。

多感な時代をずっと見つめ続けてきて
すべてを知っているのは パピー君だけです。

パピー君の危篤…
いつかは訪れる瞬間ですが、やはり言われると
どうしようもなくなります。

今夜は実家で両親の愛情の中過ごすことを
両親は選択しました。
もし、明日まで生きていたら、救急外来に連れて行くつもりです。

命あるものはいつかは尽きる…
ましてパピー君は
初代一太郎のような不慮の死ではなく
神様からのお迎えがそろそろなのかなぁという年齢です。

私を見つめてきて18年。
パピー君がいてくれてたから、仕事ががんばれた
あの頃はそうでした。

どうか どうか
無事に朝を迎えられますように…
二代目と一緒に祈っています。
posted by Shara at 23:38| Comment(2) | TrackBack(0) | Best Partner | 更新情報をチェックする

2010年12月01日

桜紅葉

すいぶん記事更新をしていませんでした。
時折コメントやメールを頂いていましたが、
なかなかお返事をする元気もありませんでした。

記事を更新しない間にいろいろなことがありました。
私は新たに引っ越しをして、一太郎さんの遺骨と遺影を飾り
それからすぐに、長期ツアーに出かけました。

もちろんボスの勧めもあったのですが、
今はただ、無心に仕事をしたかったというのが
正直なところだったと思います。

過酷なツアーではすれ違いも多く、
心身ともに疲れ果てて、極限の睡眠時間と緊張を
どうやったらうまく伝えられるだろうと悩んだりもしました。


一端夏のツアーが終わり、一太郎さんの血筋のコが
一太郎さんの四十九日に生まれたということでブリーダーさんのところに会いに行きました。
背中に星印を背負った小さな男のコ。
柄の出方も初代そっくりでした。
これは何かのご縁であると思って、二代目として迎えました。

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これは去年の一太郎さんの姿です。
さわやかで堂々としていて貫禄もあります。

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これは生後半年の二代目の写真。
まだまだ初代には及びませんが、ヒトに対する心配りは
初代同様とても長けていると思っています。


ばたばたのうちに 先代と撮影した最期の写真の大桜は
桜紅葉となり 美しくたたずんでいました。
その写真を撮ることもできないまま
仕事に追われてカメラに収めることもなく終わってしまいました。


夏から今まで 本当に時間のゆとりがない私
それでも季節は確実に過ぎていって
二代目の成長も著しく…

毎年ご贔屓の現場に連れて行っても
誰も初代が亡くなって、二代目が仕事始めということが
わからないくらい場慣れしていました。
血筋かもしれません。

春の桜の花 秋の紅葉桜
どちらも散り際が潔く、
なんとなく 先代の生き様を彷彿させる印象がありました。

二代目もがんばって仕事を覚えようとしています。
どうか このまま
素直にまっすぐに ヒトを疑うことなく育ってくれれば…
私は二代目一太郎にそう願ってやみません。

桜の花も 桜紅葉も
その散り際が潔く、
ひょっとしたら 潔くこの世から離れてしまうのかと
心配する部分もありますが
それでも一太郎が大好きだった桜の花

これからも 最期に撮った写真のあの桜を
これからも見つめていこうと思います。
二代目一太郎と一緒に…

二代目もご贔屓によろしくお願いします。



二代目一太郎の記事
一太郎日記http://ameblo.jp/one-taro-diary/

また少しずつ更新します。
おやすみなさい…
posted by Shara at 23:50| Comment(4) | TrackBack(0) | I think so… | 更新情報をチェックする
I think so...